ダチュラを食む



補給のために停泊した夏島は、名も知らない花々が咲き誇る綺麗な島だった。
休息も兼ねていると聞いたナース達が、ここぞとばかりに羽を伸ばして白衣を脱ぎ、水着姿でキャッキャうふふとはしゃいでいた。さらにそれを鼻の下伸ばしながら何人かが眺めていた。命知らずもいいところである。もちろん、この後無事に出航して暫く経ってからきっちり請求されるというオチ。一人あたり三万ベリー。思ってたより良心的な値段。もっとふっかけられる未来だってあったはず。
 
そんな三万ベリー徴収された男たちの悲しみも一緒に乗せて、船は暗闇を進んでいる。夜の海はどこまでも果てしなく黒く広がり、船の僅かな明かりと月が無ければ天地の境い目もわからなくなるほどだ。
夏島と潮風の、肌にまとわりつくような湿気を帯びた温度がなんとなく寝心地悪くて目を覚ましてしまった。夜明けはまだ遠いらしく、カーテンの隙間から煌々と部屋を照らす月明かりが眩しい。
もう一度寝よう。
そう思い布団を頭から被って目を閉じたが、すぐに体を起こして溜め息。だめだなこれは。この感じだと寝付けそうにない。
気怠い体をゆっくり起こしてベッドから這い出れば、覚醒しきれてない頭が少し揺れた。他の奴らは気持ちよさそうに寝ていることが寝息でわかる。年季の入った軋むドアを出来るだけ優しく開けて、同じように年季の入った廊下へそっと足を踏み出して、向かうのは食堂。

 
昼間の喧騒が嘘みたいに音の少ない廊下をゆっくり歩く。時折、連なる扉の向こうから聞こえてくる野郎どものうるさい寝息と、自分が歩く古ぼけた床材の軋む音。夜独特の静寂が船内に満ちている。
おれはこの空気感がわりと好きだったりする。うるさい奴らが寝静まる今、本を読むのも悪くないかもしれない。酒を軽く飲んだ後は、購入したのになかなか読めずで積まれている本を消化しよう。きっとそれがいい。
しばらくそうやって歩く静かな廊下で、段々と、それは確実に大きくなっていった。
これは、誰かの話し声だ。ぎしぎし音を立てながら自分が歩く音、船を揺らす波の音、誰かの寝息、それ以外のもの。数人が談笑している声。周りが静かなせいで反響して良く通る。方向と音量で、甲板からだということがわかった。
こんな時間になっても飲んでるやつがいるのか。思わず小さな溜め息を漏らしながらも足を前に踏み出すことは止めない。歩く速度は落ちているけれど、これはこの後の展開が色々想像出来るから。
そうしてたどり着いた扉前で、声の主が一体誰かわかってもう一度溜め息。溜め息の回数だけどんどん増えていく。
ああ、いる。どうせまた馬鹿みたいな量を飲んでるに違いない。まだ飲んでもいないのに痛む頭を左手で掻きむしりながら、嫌に重いような気がする扉をゆっくり開けた。
 
月明かりが眩しくて、反射的に細くなる目でもはっきり捉えた三つの人影。もう随分と飲んでるはずなのに顔色一つ変わってないビスタとイゾウ。同じく表情も顔色も、素面となんら変わらない女。

「あ、マルコじゃん」
「お前……何日か前に夜更かしは美容によくないから早く寝るって言ってなかったか?」

そんなこと言ったかなぁ全然覚えてないなぁと言いながら酒を注ぐそいつを見て、もう何回目かさえわからなくなった溜め息を吐く。美意識とは。端から美容なんて気にしてなかったのかもしれない。

「なんかさー、怖い夢見て目が覚めちゃったんだよね」

並々と注がれた酒を早くも飲み干し、空のジョッキにまた同じくらいの量を注ぎ飲むその姿を見て、とんでもないなと少し引いた。隣にいるビスタも同じように自分のジョッキに酒を注いでいる。
飲みっぷりはその辺の女海賊もびっくりなくらいだが、こいつはただの雑用係である。船に乗ってる期間が長いせいか、おれたち隊長達に対しても物怖じせず普通に話しかけてくるし、こうして酒盛りにも誘ってくる。

「マルコは何してるの?」
「まぁ同じような理由だよい。目が覚めちまった」
「へー、じゃあ一緒に飲もうよ」

その台詞を聞いたイゾウとビスタは示し合わせたかのように、同時に立ち上がった。おやすみと言い船内へ戻って行く二人に、女は「おやすみー!」なんて呑気な声で手を振る。

「……はぁ。酒盛りもいい加減に……おい、その花どっから持ってきた?」
「ん? これ? 綺麗だったから持ってきちゃった」

数本転がっている瓶の一つを一輪挿し代わりにして、生けられている花。大きく広がり、月光を浴びる白色の毒。その花は昼間の上陸で手に入れたものだった。取り扱いには注意しなければいけないものだったので、そのようにして医務室に置いていたはずなのに。

「触るなって張り紙をしてたと思うんだが」
「通りかかった時に見かけて……え、でも近くにいた若先生には許可とったよ?」

花の香りを嗅いだり直接触ったりしないなら良いって言ってたよ、そう続ける女は何杯目かわからない酒を水の如くに飲み干す。デュースは、この花が何かわかっている。彼女は軽い調子で話すけれど、多分何回も何回も子供に言い聞かすように言ったのだろう。触るな、嗅ぐなと。持っていくなと言っても無駄と諦めて。

「毒がある」
「うん、若先生も言ってた。だから直接触ってないし嗅いでもないよ! イゾウ達にもダメってちゃーんと言ったし」

お酒飲み終わったら返すつもりだったよ。
音を立てて注ぎ込まれる酒で中身は空になったらしい。名残惜しそうに最後の一滴まで搾り出そうと瓶を小刻みに振っている姿は、美容を気にしていたやつとは思えない。

「マルコは毒の花なんてどうするつもりだったの?」
「そいつは麻酔薬になるからな」

興味があるのかないのか、なるほどなるほどとなんてうわ言のように呟きながら、新しい酒瓶の封を切って自分のジョッキに注ぐ彼女。もう何も言うまい。

「毒なのに薬にもなるなんてすごいね」
「この世のありとあらゆるもんは毒になる、毒と薬を分けるのは量だ。もちろん酒も」

あははと笑いながら軽く流した彼女は、もう飲み干したらしい。

「薬も、お酒も、ギャンブルも、異性も……ほどほどが一番だね」
「お前が言うな」
「私はちゃんと致死量を弁えてるから大丈夫なの。あ、マルコのジョッキ用意しなきゃだね」
 
二人の間を湿り気を帯びた潮風がゆるりと通り抜けた。場違いなくらい甘い花の匂いが、仄かに香ったような気がした。

「……いや、いい。直接飲む」

早くも残り少ない酒瓶を手に取り一口飲むと、自分が思っていたより度数が高くて潮風に吹かれる花と同じ様に頭がぐらりと揺れる。

「いい飲みっぷりだねー! やっぱりマルコはかっこいいなぁ」
 
満月を背に女は嬉しそうに笑っている。艶やかな髪が月光と波風の影響を受けきらきら夜に揺蕩う。ほんの少しの酒と、蠱惑的に香る毒の花のせいかもしれない。彼女を構成する全てが輝くようで、それが綺麗で、なんだか脳が毒に侵されたみたいに麻痺していく。
 
気が付けば髪に触れようと、手を伸ばしていた。





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